2015年10月03日
アディダスゴールデンボール賞
06年に行われたFIFAワールドカップドイツ大会ではメインスポンサーがドイツ企業のアディダスだったことから様々な都市伝説が生まれている。
大会のMVPの正式名称は
「アディダスゴールデンボール賞」
であったことからアディダスのユニフォームを着ているフランスのジネディーヌ・ジダンが選ばれたとされている。
また優勝したイタリア、準優勝のフランスともにユニフォームはドイツの企業(イタリアはプーマ、フランスはアディダス)であったことから地元企業のユニフォームを着たチームに有利に働いた試合があったともされている。
なお2010年の南アフリカ大会でもアディダスが賞のスポンサーを務めたが、
MVPはプーマのユニフォームを着用したウルグアイのディエゴ・フォルランが選ばれた。
あそこは十年以上空家なのよ
975 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[] : 投稿日:2003/11/04 23:12:00
よくある話で恐縮ですが私のを一つ。
その日は特別授業で幼稚園がいつもより早く終わる日で、
ママンはそのことを忘れてて迎えに来てくれなかった。
しょうがないから家までの道(子供の足で10分ぐらいの住宅街の1本道)を
歩いて帰る途中、その道沿いに開けた芝生の広場を見つけた。
白い蓮華の花がたくさん咲いていてお花畑のようにきれいで
しばらく腰を下ろして蓮華の花で冠を作って遊んでいた。
その間20~30分ぐらいだったと思う。
その場所をすごく気に入った私は次の日にもその広場に行ったんだけど
広場があったと思う場所には塩ビのパイプが並んだ水道工事のお店があった。
考えてみればその場所はずっと前からその店があった所だ。
何かの勘違いかと思い、幼稚園への行き帰りにいつも広場を探したけど、
とうとうその場所は見つけられなかった。
あれから20年近く経ってるけど、緑の芝生に小さな白い蓮華がたくさん咲いてた
あの景色はいまだに忘れられない。
続きを読む
亀田製菓の目玉商品「柿の種」に由来する
Jリーグ・コンサドーレ札幌が、1996年(平成8年)に前身の東芝サッカー部を札幌市に移転して新法人化する際、マイクロソフト社が、メインスポンサーとして名乗り出たが、その条件が、
「チーム名を勝利(Win)と北海道(道)に掛けて「ウィンドウズ」にする」
であった為、運営会社の北海道フットボールクラブが断った、というもの。
Jリーグ・アルビレックス新潟のチームカラーであるオレンジが、スポンサーである亀田製菓の目玉商品「柿の種」に由来するという噂がある。
公式には「日本海に沈む夕陽」をイメージした色とされている。
2015年10月02日
髪が薄くなってマゲが結えなくなったから
力士にはマゲがつきもので引退の際に断髪式でマゲを切り落とすことから。
1925年(大正14年)に横綱栃木山守也が優勝直後に引退した際には
「髪が薄くなってマゲが結えなくなったから」
という説がささやかれた。
北勝海信芳の引退時にも同様の説がささやかれたが、この場合は実力的にも限界であった。
実際、完全にスキンヘッドの力士は近代相撲史上存在しないが、増毛で補っていた例もあった。
近年では琴稲妻佳弘が史上最遅で三役に昇進した際、マスコミから
「髷との勝負ですね。」
と冗談混じりなやりとりが紹介された。なお、相撲では、ハゲたら引退というルールはない。
マゲが結えないという意味で言えば、昇進が早すぎて髪が伸びず、マゲが結えないというケース(雅山哲士など)があり、マゲが結えないからといって土俵に上がれないということではない。
アルカンシエルの呪い
世界選手権男子エリートロードレースで優勝した選手が翌年には大きく成績を落とすというケースが少なくない。
これは優勝者は向こう1年間、アルカンシエルを着用して全てのレースに出場することが許されるため、
クラシックレースなどのワンデイレースではアルカンシエル着用者が最も目立つ存在となるほか、
グランツールなどのビッグレースにおいても総合首位(マイヨ・ジョーヌ、マリア・ローザ、マイヨ・オロ)、ポイント賞、山岳賞など各賞ジャージの着用者に次ぐ存在感を示すことになる。
そのため当然のように他チームからは実力者とみなされて厳しいマークに遭いやすくなるうえ、
そのレースの成績に関係なしにマスコミから格好の「標的」とされるケースがままあり、その結果、アルカンシエルの重圧に耐え切れなくなって調子を落とす場合が多いためである。
また、なぜかレース中の落車事故やメカトラブルが頻発したり、レース外でも世界選手権優勝経験者は家庭不和や事故、病気に罹患するなどのトラブルが起きることなどから
「アルカンシエルの呪い」
というジンクスもまことしやかに噂されたりする。
主な例として
スタン・オッカー……1955年に優勝したが、翌1956年にアントウェルペンで開催されたトラックレースにおいて事故死。
ブノニ・ブエイ……1963年、22歳のときに優勝したが、その年、リック・バンローイに史上2人目の3度目のプロ世界一をもたらすべく、ベルギーチームが作戦を立てていたにもかかわらずそれを無視して勝利を収めたことが後々禍根となり、1966年以降は全く活躍の場がなくなった上に、1968年にまだ28歳の年齢で引退を余儀なくされた。
トム・シンプソン……1965年に優勝したが、2年後のツール・ド・フランス1967で急死。原因はドーピング。
ハーム・オッテンブロス……1969年に優勝したが、1976年に自殺未遂を起こし、レースキャリアを絶たれる。
ジャンピエール・モンセレ……1970年に優勝したが、翌1971年3月、レース(GPレティエ)中に事故死。
エディ・メルクス……1974年に個人ロードレース優勝の他、ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスでも総合優勝を果たし、史上初となる、トリプルクラウンの大偉業を達成したが、翌1975年のツール・ド・フランス第14ステージにおいて、沿道にいた観客に殴られたことなどが原因で総合2位に甘んじて以降、「カニバル」(人喰い)とまで畏怖された強さがなくなってしまった。
グレッグ・レモン……1983年に優勝したが、4年後の1987年4月、狩猟中に仲間から誤射され瀕死の重傷を負う。 また、1989年にも優勝したが、体内に残った散弾による鉛中毒と見られる筋肉疾患により引退を余儀なくされる。
ステファン・ロッシュ……1987年に、メルクス以来となるトリプルクラウンの大偉業を達成したが、翌年のツール・ド・フランスのチームタイムトライアルでスタートに遅刻し失格。以降も膝の故障に悩まされ続け、これといった活躍機会は訪れなかった。
ルディ・ダーネンス……宇都宮で行われた1990年のプロロードチャンピオン。8年後の1998年、交通事故で他界。
ジャンニ・ブーニョ……1991年、1992年と二年連続で優勝するが、翌年から極度のスランプに陥る。その後家庭不和により離婚。
ランス・アームストロング……1993年に優勝したが、3年後に癌を発病。
リュク・ルブラン……1994年に優勝したが、翌シーズン開始直後に所属チームのスポンサーが破産しチームが消滅。シーズン中盤以降のレースにすべて出場できなくなった。
ヨハン・ムセウ……1996年に優勝したが、翌年のロンド・ファン・フラーンデレンで撮影バイクに追突されて車輪を破損。パリ~ルーベでは圧倒的に有利な展開に持ち込みながらゴール直前でパンクして優勝を逃した上、1998年の同レースで膝蓋骨複雑骨折の重傷を負った。その後オートバイを運転中に頭蓋骨骨折の事故を起こす。
ローラン・ブロシャール……1997年に優勝したが、翌年にチームぐるみのドーピングが発覚し出場停止となる。
ヤン・ウルリッヒ……2001年のタイムトライアル部門で優勝したが、翌年膝を故障。さらに交通事故を起こしたうえ、抜き打ち検査でドーピングが判明してチームから解雇された。
イゴル・アスタルロア……2003年に優勝。翌2004年にまずコフィディスに移籍したが、チームぐるみのドーピング疑惑が持たれたため、問題が解決するまでチーム活動の停止を余儀なくされた。そのため急遽、同年5月にランプレに移籍したものの、同年シーズン限りで契約を打ち切られる。
トム・ボーネン……2005年に優勝するが、翌年恋人と破局したうえ、交通事故を起こす。
パオロ・ベッティーニ……2006年、2007年に優勝したが、2006年の大会終了直後に兄を交通事故で亡くしている。また2007年には世界選手権で使用したマシンがチームの車ごと盗まれた。
アレッサンドロ・バッラン……2008年に優勝したが、2009年春先にウィルス性の胃腸炎にかかり、春のクラシックシーズンを棒に振る。その後2010年にドーピング疑惑が浮上し出場自粛。
カデル・エヴァンス……2009年に優勝。2010年はフレーシュ・ワロンヌで優勝するなど順調に見えたが、ジロ・デ・イタリア第2ステージでマリア・ローザを獲得した後の第3ステージで強風による集団分断で脱落。さらには大会後半には発熱し総合5位に終わる。その後のツール・ド・フランスでは第8ステージでマイヨ・ジョーヌを獲得するも、そのステージでの落車が原因で左肘を骨折。翌第9ステージで大きく遅れ、最終的に総合26位に終わる。
などがある。
大ケヤキ
東京競馬場にある第3コーナーはお墓を壊して作成したため呪いがあるというもの。
実際第3コーナーにある大木(通称「大ケヤキ」と呼ばれるが、実際はエノキ)
の下は元々井田摂津守是政のお墓があり大ケヤキを切り倒そうとした作業員達が謎の死をとげるなど不可解な現象が続発、計画は断念されたという。
作家の寺山修司がこのことをエッセイで紹介したのがきっかけで都市伝説化しハローバイバイ関暁夫の都市伝説でも取り上げられた。
現在でも数年に一度第3コーナーで祟りによる落馬が発生するという噂がある。
ようこちゃん
520 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[] : 投稿日:2003/09/08 02:26:00
記憶はかなりあいまいで、薄れてしまっているが、先日おふくろに言われて「あっ」と色々と思い出したんですけど、ちと奇怪なお話を・・・。
何でも、私は幼稚園へ通っていた頃、途中半年くらい行かなかった頃があるそうな(記憶あり)。その頃毎日遊んでいたようこちゃんという子がいたそうだ(記憶あり、顔は思い出せない)。
がお袋は一度もその子の姿を見たことが無く、我が家にようこちゃんが来たときもお袋はジュースを2人分入れて、一人遊びしている私を不思議そうに眺めていたそうだ(一緒に家で遊んだ記憶あり)。
マジに、オヤジと「この子は頭が・・・」と話し合ったこともあったそうだ。
「ようこちゃん家はどこ?」と聞いても私は「しらない」と答えていたそうだ。
その後、私は引っ越してしまって、すっかりその記憶はとんでいました。
お袋は今になって「気味悪かったわよ。なんだったんだろうね・・・」って言うけど、私も何があったのか良く思い出せないのです。所詮子供の記憶だからね。
でも、確かにようこちゃんと何度も家で遊んだことは覚えているのです。
なんだったのでしょうか。
続きを読む
2015年10月01日
GI競走の2着馬は7頭いる
ディープインパクトが勝ったGI競走の2着馬は7頭いるが、
うち6頭(シックスセンス、インティライミ、アドマイヤジャパン、リンカーン、ナリタセンチュリー、ドリームパスポート)がそこから1年以内に故障を発症している。
このことは雑誌『AERA』の2006年10月2日号でも「ディープインパクトの呪い」として取り上げられた。
ちなみに、日本国内で唯一ディープインパクトに勝利したハーツクライも、上述の通り、翌年に喘鳴症を発症し引退に追い込まれている。
また、凱旋門賞でディープインパクトを破ったレイルリンクも翌年骨折、さらに腱を痛めて引退している。
唯一、健常な競走馬生活を送ったのはポップロックで、のちにアイルランドにレースの場を移して2010年(9歳)まで現役を続けたが、最後にはレース中に屈腱炎を発症して引退となり、
「ディープインパクトの(GI競走)2着馬は決してGIを勝つことができない」
というもう一つのジンクスについても打ち破ることは叶わなかった。
また、デビュー戦で2着に敗れたコンゴウリキシオーはその後重賞を勝っているものの、この馬もGI競走を勝つことはできなかったように、ディープインパクトが勝ったレースの2着馬も活躍こそできたがGI競走を勝つことはできていない。
サザエさん
長期連載漫画につきものと言える、最終回にまつわる都市伝説。『サザエさん』には明確な最終回が存在せず、様々な都市伝説を生んでいる。
以下は流布された都市伝説の例。
一家の乗った飛行機が海に墜落し、家族はそれぞれの名前の海の生き物になる。
玉手箱を開けてしまい、浦島太郎のごとく今まで止まっていた時間が一気に進んでしまう。
時が経ち、波平は脳卒中で他界し(あるいは認知症になり)、マスオはリストラされ(あるいは愛人を作り)、カツオは不良化し(あるいは薬物依存症になり)、サザエはアルコール中毒になり(あるいはヒステリーにより金属バットで魚をくわえたドラ猫を殴り殺し)、一家は路頭に迷う。
マスオが株に失敗し、その後サザエとマスオは離婚。フネは鬱病により自殺し、波平は消息不明。
カツオは出家し、ワカメは売春をして、タラオは暴力団に奴隷として売られる、なおこの場合は出家したカツオの回想であったというオチとなる場合がある。
「サザエは実は磯野家に捨てられた子供で、その事実を知ったサザエが自殺する」という話もある。
「タラオを除く一家全員が惨殺されて終わる」という陰惨な話もある。
東京サザエさん学会は『磯野家の謎』で、しりあがり寿が多摩美術大学の学生時代に会誌『タンマ』で描いた『サザエさん』のパロディ漫画『サザ江さん』が噂の元と推定している。
続編『磯野家の謎 おかわり』にはしりあがり寿へのインタビューも掲載されている。『サザ江さん』は当然のことながら一般の目に触れることがなかったが、
一部が1993年に開催された漫画雑誌『ガロ』のイベント「テレグラム・ガロ」で披露されている。同イベントはビデオ化もされており、そこで見ることもできた。
真っ黒で毛の質感もなくて目とかもなかった
515 : あなたのうしろに名無しさんが・・・[sage] : 投稿日:2003/09/07 16:31:00
小さい頃、一人でお風呂はいるの怖くてドァをゴミ箱で押さえて開けて入ってた。
その日もいつも通りそうやって入ってた。
何故かドァの方が気になって振り向いて頭ガシャガシャ洗ってたら、
ニュゥゥゥっとまん丸い頭の真っ黒な影がのぞき込んできた。(本体?は見えない)
その時は家族の誰かだろうと思って普通にあがって親に尋ねた。
自分「さっき一階に誰かおりてきた?」
ママン「知らないわよ?誰も階段おりる音しなかったし」
…そぅいえば、一階には誰もいなくて、階段を下りる音も上がる音もしなくて、
家の柔らかい照明の中では考えられないくらい真っ黒な影でした。
頭の形も家族の誰にも当てはまらないし。
真っ黒な影は工房になった今でもたまに見るんですけどね。
昨日も登校途中、路駐したワゴンのドァが開くと同時に
犬みたいな真っ黒なの(チワワ大)が勢い良く飛び出してた。
犬嫌いな自分は、「おいおい放し飼いかYO!」とか思いながら
そのワゴンに近づいた。(通学路だからそこを通らなきゃいけないの)
そしたら飛び出たところに犬はいないし
ワゴンも荷物運んでさっさと出発しちゃうし。
今思うとその犬もありえないくらい真っ黒で毛の質感もなくて目とかもなかった。
519 : 魔界一号 ◆jCEeHoY352 [] : 投稿日:2003/09/08 02:24:00
>>515
俺の友達もそういった真っ黒のを見るって言ってるんだよね。
なんなんだろうね。